東京都西東京市プロテスタントキリスト教会・東京若枝教会

― 以下は週報の「教会の動き」の冒頭に掲載されたメッセージを再掲載したものです ―

2018年 2017年 2016年

2018年5月13日 母の日  

神は常に勝利者です。ですから神につく者は、いつも最後の勝利者です。
「頭は金持ちだが、手は貧乏などという人がいようか。私たちが神と一体となった時、私たちは限りなく富める者、力強い者になる」(ハドソン・テーラー)。
「わたしにとどまりなさい、わたしも、あなたがたにとどまります」と主。そこは、
一、人生のいかなる敵にも勝てる城中の宴。
一、神の愛で、勝利の力に満たされる。
私は、私を強くして下さる方によって、どんな事でもできるとのパウロの秘訣はこれ。

2018年5月6日  

「新緑」、なんとすがすがしいことばの響きでしょう。やわらかな緑色のベールの中に身を浸すと、自然に賛美がわき出ます。
"Young green", how nice it sounds! Being surrounded by the soft new green of spring, our lips sing hymns naturally.
大きな樹は大きな樹として、また小さな雑草は小さいなりに、創造主から与えられた自分の姿を精一杯表現しながら、造り主を賛美しています。
Not only the big trees, but also the small grass worships the Creator by expressing its own God-given identity.
わがたま いざたたえよ 大いなる 御神を
Then sings my soul, my Savior God, to thee!
How great Thou art!

2018年4月29日 昭和の日  

「死は確かに人生の最終目的なので、数年来私は、人間の最良の友である死に親しむことを自分の務めだと思っています。そのためか、私は死を少しも怖いとは思わず、むしろ大きな慰めと安らぎを覚えます。」
 これはモーツァルトが父に宛てた手紙です。彼の生涯は35年という短いものでしたが、敬虔なキリスト者であった彼は、死はすべての終りではなく、天国への門、永遠の祝福への門と信じていました。死への思いが深まって、自分の有限性を自覚する時、生の喜びがほとばしり、すばらしい創造性が発揮されます。
現在、音楽療法(ミュージックセラピー)に彼の曲が最も多く用いられるのは、永遠の希望が生き生きと表現されているからでしょう。

2018年4月22日  

 主にすがるわれに 悩みは無し
 十字架のみ許に 荷をおろせば
 歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
 歌いつつ歩まん この世の旅路を(聖歌516)

クリスチャンになるとは何と幸いでしょう。
イエスさまは、私たちの良心の傷を癒して下さり、死の恐れを取り去って、天国への希望を与えて下さいます。信頼してお祈りすれば、何でも思いにすぐることをして下さいます。これを恵みと言います。いつでも喜び、どんな事でも祈り、何でも感謝して行きましょう。これが最高の人生です。

2018年4月15日  

若き友へ。四月も中葉、社会人として生きるあなたに心構えのいくつかをお伝えしましょう(これは誰にでも適用されます)。
一、挨拶をきちんとする。挨拶も出来ずに大人になった人が沢山います。
一、頼まれたらいやな顔をしない。ともかく「ハイ」と気持ちよく引き受けなさい。
 なんとかなります。将来を拓く秘訣です。
一、責任をしっかりとる。何事にもよらず責任の取り方でその人の価値は決まります。
一、感謝して働く。感謝の無い人、いつも不満をくすぶらせている人は損な人です。
 進んで引き受け、良い雰囲気を作ろう。
一、良い友人を造る。曲がった人に関わらず良い人と親しみ、主を証ししなさい。

バックナンバーはこちら

2018年4月8日  

「複雑な現象は、単純な事実の投影にすぎません」。数学の天才と言われた広中平祐教授の言葉です。彼はどんな難しい問題も視点を高めることで単純に解けたと。
 私たちは、単純を複雑にして苦しんでいることが多いのです。かすり傷を致命傷みたいに思ったりして。視点を高めるとは「赦す」ということです。相手との問題のこじれの原因は「赦せない」という気持ちにあります。自分もまた加害者であることを忘れ、相手のために祈ろうとしない、そこに気づく時、不思議と神がご介入されます。

2018年4月1日 イースター  

教会員には教籍というものがあります。
国籍や戸籍と同様に、受洗することや転入することで教会の一員として登録されます。
一、籍は席です。礼拝者として一席を持ち、その使命を果たすことを意味します。
一、籍は、その教会の責任を分担することを意味します。期待され、祈られます。
一、籍は、所属教会の人たちとの交わりを意味します。兄弟姉妹は自分が選んだのではなく、神が選んで自分の前に置いて下さった人です。彼らに協力し、彼らから学び、彼らによって訓練され、霊的成長を果たします。
今日はイースター。私たちの主イエス・キリストが死を破って復活された歴史的な日です。

2018年3月25日 棕櫚の聖日  

私たちは主の若枝として、新しい出発をしました。週報に掲げた「私たちの使命」を日々確認するなら力と知恵は与えられます。
一、礼拝による伝道。主は毎週のように新しい方法を送っていて下さる。よき友となってフォロー出来ているか確認しよう。
一、それぞれの伝道。CSやホッとタイムなどの教育伝道、スポーツ活動、家庭集会での交流を通し、一人が一人をしっかりと。
一、生活による伝道。あなたの家庭生活に喜びと賛美、祈りがあるだろうか。

2018年3月18日  

「スランプはしめたと思え」とは、日本シリーズ九連覇を成し遂げた巨人の川上監督の言葉です。ドン底とは、これ以上落ちない状態です。立ち向かえば、努力すれば、必ず壁も突き破れるし、弾みもつく、むしろ感謝しなければ、というものです。これで選手は大成していく、飛躍のチャンスなのだと。
教会も同様です。「使徒の働き」に見るように、問題が起きるたびに協会は身を正し、弾圧のたびに使命を自覚し、火の粉が飛び散るように福音は燃え広がりました。

2018年3月11日  

三月は別れの季節です。卒業式は学生にとって、自分の人生の大切な節目の意味を問うことになります。今までの学園生活を総括する時だからです。
だれでも自分の「終り」を意識することで自分の「今」を位置づけることができます。死を考えることで、生きる意味を問わずにおれません。ところが現代文明は華やかに生を謳歌させて、死の匂いを消し、自分の終りを考えさせない仕組みを作りました。
死が一切の終りでないことを知っている私たちには、人生の卒業式を覚えて、永遠に向かっている自分を確認し、整える時です。

2018年3月4日  

信仰生活の喜びは、神の御言葉から来ます。おいしいからと言って食いだめしても栄養にならないように、日々聖書を愛すれば愛するほど、信仰は確立し力強くなります。
御言葉と伝道は健全なクリスチャンの両輪です。御言葉を学ばないで救霊の実を結んだ実例はありません。そこには聖霊のお働きが乏しいからです。祈り会の重要性はここにあります。祈るとき、私たちは神に語りかけますが、御言葉を読む時、神に聴くのです。この方がさらに重要なのです。

2018年2月25日  

キリスト教とは、キリストご自身です。信仰によって、このお方と結びつき、親しくなることです。全能のイエスさまが「いつも私と共にいて下さる」のが、大前提ですから、イエスさまはお約束通り、「して下さる」、「させて下さる」、「与えて下さる」と、お任せして安息することです。
「恵み」とは、この事です。イエスさまはご真実です。この信仰に立つ時、私たちの人格に筋金が入り、喜びが湧いてきます。

2018年2月18日  

受験や就職のシーズンです。合格か不合格か、採用か不採用か、「結果がどうなるか」わからないことは大きな不安を与えます。人生の不安は、初めから結果がわからないことにあります。つまりこれぞという「落としどころ」を自分で決められないことです。聖書は言います。
私たちの下には「神の永遠の腕」が伸べられていると(申命記33:7)。
人生のあらゆる問題には(究極の保証)「落ちどころ」があります。
すべては全能の父なる神の愛の御手の中にあるから大丈夫と。これを心から信じる人は、どんなことにもくよくよしない。神はすべてを益とされます。
「世界を動かすものはこの希望である(ルター)」。

2018年2月11日  

「進行性筋ジストロフィー」という致命的な病と戦いながら若くして逝った石川正一君。彼が14歳の時に書いた詩は、深い。

 人間の心なんて
 積み木みたいなものなんだね
 ちょっとさわれば
 すぐ くずれてしまう
 だから 神さまの根を
 心の中に たくさん
 張らして おかなくてはならない

倒れやすい心を支えるのは、みことばという「神の根」である。
祈りの根を張らせようという、心の底からの叫びです。

2018年2月4日  

星野富弘さんは23歳の時、両手足の機能を失いました。
でも、キリストを知ってから筆をくわえて明るい詩画を描く人になりました。
「たんぽぽ」のうたです。
 いつだったか きみたちが
 空をとんで行くのを見たよ。
 風に吹かれて
 ただひとつのものを持って
 旅する姿がうれしくてならなかったよ
 人間だって どうしても必要なものは
 ただ ひとつ
 私も 余分なものを 捨てれば
 空がとべるような 気がしたよ

2018年1月28日  

やがて私たちが迎えられる永遠の聖国は神を礼拝する所です。ですから”若枝”もすばらしい礼拝の序曲をこの地上で実演させて頂きたいのです。原則があります。
まず、主にお目にかかることを期待し、祈り待ち望むことです。また、自分だけでなく、初めての方も主にお会いできるように祈って、信じることです。
期待は信仰と同じです。「あなたの信仰の通りになれ」(マタイ9:29)。
礼拝は感謝と喜びに溢れる時です。
「喜び歌いつつ御前に来たれ」(詩篇100:2)
聖霊とのお交わりは、励ましを与えて下さり、お互いに希望を分かち合う、魅力的な温かい礼拝となります。

2018年1月21日  

昨日から大寒です。一年で一番寒いと言われる季節です。昔は今ほどの暖房がなかったから、それは肌身に染みました。
寒いと言えば思い出すのが、寒稽古と麦踏み。蒔かれた麦は芽を出すと寒風で凍り、根が浮き上がる。踏みつけると霜柱がとけて、根が土中に収まって枯れずに伸びて行く。
あの「サク、サク」と足元で氷の崩れていく音が今も耳元にある。人生は神の麦踏み。
神様は、愛のゆえに、苦難の中でこそしっかり御言葉に根づくように、愛の麦踏みをされる。こわがらなくていい。わたしが釘付けられたその足でやってあげるのだからと主は言われる。ほら知っているでしょう。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達、練達は希望を生む」ということを。

2018年1月14日  

私たちが神から距離を置いて生活しているか、それとも親しくしているかは、すぐ見分けができます。少々離れている人は、外側の見える形に気を取られるのですが、神と共に歩んでいる人は、聖霊によって、「アバ、父よ」と親しく呼び求めるのです。
歩きながらでも、寝たままでも神とお話したくなります。イエス様が「アバ」とみ父に呼びかけられたように、私たちもそのようにお呼びするなら、聖霊が私たちのうちにおられ、私たちが神の子とされている証拠です。
「アバ、父よ」と申し上げましょう。
そうすると恵みが心に押し寄せ、心は祈りへと引き上げられます。

2018年1月7日 新年礼拝  

キリスト教とは何ですか、と言うと多くの人は教義を信じることとか、正しい生活をすることとか考えていますが、そういうことは大切であっても、中心ではありません。
使徒パウロが「私にとっては、生きることはキリスト」(ピリピ1:21)と言っているように、キリスト教とは、キリストご自身です。信じて、このお方を自分のものとさせて頂くことです。私たちのために死んで下さったキリストから贈り物として神の救いと永遠のいのちを頂き、復活されたキリストと深い愛の交わりに生きることです。
あるレプラの方の歌。
「この病(やまい)、われよりすべて奪いけり 永遠の生命(いのち)一つ残して」

powered by Quick Homepage Maker 3.60
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional