東京都西東京市プロテスタントキリスト教会・東京若枝教会

■東京若枝教会メッセージ ■中川伝道所メッセージ

《キリスト者の栄光と責任》2020年7月5日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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賛美歌545
賛美歌56
交読文 34 (詩編 108篇)
牧師の祈り・主の祈り・使徒信条
賛美歌522
特別賛美 「聖歌145 みたまのかみよ」
聖書朗読    使徒の働き 3:11〜26
メッセージ      飯塚俊雄牧師
  「キリスト者の栄光と責任」
聖歌534
感謝献金
祈り(応答・決断)
頌栄 賛美歌540
祝祷・後奏

<今日のメッセージ> 飯塚俊雄牧師
「キリスト者の栄光と責任」 使徒3:11〜26
 生まれてこのかた歩いたことがない人が、毎日、神殿の門のそばにすわって、通行人に物乞いするさまは、エルサレム中知らぬ人はいない。ところがその彼がある日、おどり上って喜び、とびはねながら神を賛美している。

1. 救いとは驚異である。主は癒し主である。
 人々は一斉に彼のもとにかけ寄って来た。それは、彼も「私を見なさい」と言えたからである。救いとは、イエスの御名に結びつくことである。イエスの御名の力にあずかることである。「私にあるもの」と言えるイエスを救い主として、内に宿すことである。
 この機会を用いてペテロは福音を語る。

2. まず、告発である。鋭いことばを浴せる。
 そして、イエスが神の御子であると証言する。この奇跡の根源は、神の御子イエスであり、自分たちではない。あなたがたは人殺しの男に代えて、このいのちの君を殺したと。
 人は殺す以上の事は出来ないが、神は復活という奥の手を持っておられる。昇天、着座された主権者イエスがご自身の聖霊を送り、教会を通して、働きを継続しておられる。

3. そして、励ましである。イエスは救い主として再び来られる。ペテロは栄化の希望を与えて、彼らを励ます。当日、二千人の人が新たにキリスト者の群れに加わった。

《ノアと箱舟 神の永遠の契約》2020年7月1日 聖書研究祈り会  飯塚俊雄牧師  

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聖歌632
聖歌230
聖書朗読 創世記 6章1-3,17-19,22節
7章11-13,16節、8章1-4,11-16,20節
メッセージ「ノアと箱舟 神の永遠の契約」

《キリストの御名によって歩け》2020年6月28日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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賛美歌545
賛美歌465
交読文 38 (詩編 121篇)
牧師の祈り・主の祈り・使徒信条
聖歌479
特別賛美 「賛美歌532 ひとたびは死にし身も」
聖書朗読    使徒の働き 3:1〜16
メッセージ      飯塚俊雄牧師
  「キリストの御名によって歩け」
賛美歌471
感謝献金
祈り(応答・決断)
頌栄 賛美歌540
祝祷・後奏

<今日のメッセージ> 飯塚牧師
「キリストの御名によって歩け」 使徒3:1〜16

 この記事は、生まれながらの足なえが、ペテロのことばによって癒された一つの事件を通し、キリストの到来が何を意味し、何をこの世にもたらしたかを証している。「美しの門」はその名の通り、二十数米もあり、人知を結集した作品で、金と銀で覆われていた。でも、その場所に毎日物乞いに運ばれて来る一人の淋しい魂を癒すことは出来ない。

 ペテロとヨハネは彼の前で足を止めた。真のキリスト者の生活には二つの面がある。「わたしにあるもの」と「あなたに上げます」の二面である。前者は所有、後者は交わりである。持っていなければ人に与えられないし、与えなければ持っているものをも失う。

 この二人は、主イエスがそうであったように、思いやりの心があった。さらに、キリスト者としての権威として、「キリストの御名」を持っていた。だから、その御名を行使して、「御名によって歩け」と命じられた。

 キリストの御名は私たちを罪から救い(マタイ一・21)、祈りの時の臨在を保証し、地の果てまでも同行を確約する(マタイ28・20)。そして、彼は自分の手をさしのべた。さらに、二人はキリストの御霊を持っていた。「わたしにあるもの」とは、思いやり、権威、具体性、御霊の力、これらはすべて、信仰によって、私たちの所有とされている!

 ガリラヤ湖は美しく清冽(れつ)である。いつも受けては流すから。死海は受けるだけで流さないから、文字通り死の海である。

 群衆はこの男性の身に起った事に驚いた。ペテロの第一の説教はペンテコステであり、第二の説教はこの人の癒しが主題となった。どちらも昇天、栄光の主の力強いみわざである。その特徴はキリストの中心性にある。そして悔い改めよの呼びかけとその祝福である。

《カインかアベルか》2020年6月24日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌48
聖歌230
聖書朗読 創世記 4章1〜7節
メッセージ「カインかアベルか」

《神のことばに従う》2020年6月21日 聖日礼拝 飯塚弘道牧師  

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賛美歌545
賛美歌67
交読文 17 (詩篇46篇)
牧師の祈り・主の祈り・使徒信条
聖歌691
特別賛美 「主のうた歌おう」
聖書朗読    ヨシュア記6:1〜9
メッセージ      飯塚弘道牧師
  「神のことばに従う」
賛美歌270
感謝献金
祈り(応答・決断)
頌栄 賛美歌540
祝祷・後奏

<今日のメッセージ> 飯塚弘道牧師
「神のことばに従う」 ヨシュア記6:1〜9
新しい時代が到来し、モーセの後継者となったヨシュアは、イスラエル百六十万の民を約束の地カナンに入国させる責任と使命の重圧に、自分の力に余るものを感じています。

この事実は三千四百年前の戦争の話を通して、現代の私たちに、信仰生活の勝利の原則を教えているのです。ヨシュアは、まず、
一、神の民としての備えをした(五・1〜12)
(1)荒野の旅中で生まれた男性全員に割礼。
 霊的には「私は神のもの」という信仰告白。
(2)神の箱をかつぐ祭司たちを先頭に、逆巻く ヨルダンに入る。臨在信仰の実践である。
(3)ヨルダンの川底に古き自我性を葬る。
 十二の部族のため12の石を拾い石塚を築く。
(4)過ぎ越しの祝いを守る。
出エジプトの主は今もわれらと共にの告白。

一、戦いの方法。神の命じるままに(五・13〜六・7)
ここに不思議な人物が、イスラエルの総大将として出現します。今の今まで、自分が神の民の軍旅のリーダーと自認していた彼に、「靴を脱げ」と全き明け渡しを命じなさる。彼はこのお方に忠実に従えば勝利、と確信する。「神もし我らの味方ならば誰が我らに敵せんや」。

一、戦略は人知を越えた方法であった。
エリコの町を六日間、一回ずつ廻り、七日目は七回廻り、一斉にときの声を上げるというもの。信仰と祈り、そして全き従順、これこそ、いつでもどこでも勝利の方程式です。
エリコの城は一挙に崩れ去りました。

《あなたはどこにいるのか》2020年6月17日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌201
聖歌230
聖書朗読 創世記 3章8〜21節
メッセージ「特別恩寵と一般恩寵 あなたはどこにいるのか」

《生きている教会のしるし》2020年6月14日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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賛美歌545
賛美歌527
交読文 26 (詩篇84篇)
牧師の祈り・主の祈り・使徒信条
聖歌160
特別賛美 「聖歌187 疲れし者よ」
聖書朗読    使徒の働き2:42〜47
メッセージ      飯塚俊雄牧師
  「生きている教会のしるし」
聖歌459
感謝献金
祈り(応答・決断)  飯塚弘道牧師
頌栄 賛美歌540
祝祷・後奏

<今日のメッセージ> 飯塚俊雄牧師
「生きている教会のしるし」 使徒の働き 2:42〜47
神は永遠の初め、御体である教会を造ろうと決意されました。歴史の中に御子イエスを遣わし、ご計画を実行に移されました。主イエスは教会を「花嫁」とお呼びになります。このご目的は永遠の中で完成されます。
ですから、主イエスは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と宣言されました。
キリストはお言葉通りご自身の霊である聖霊をお降しになり、教会の誕生というかたちで実現されました。
主は、いのちをかけて打ち建てた教会の首(かしら)です。

では、生きている教会のしるしとは何でしょう。
1.彼らは使徒たちにつながっていました。
  使徒たちから神のみ心を学び、信じ、従いました。
2.彼らは互いにつながっていました。
  互いに愛し合い、交わり、配慮し合う教会でした。
3.彼らは神につながっていました。
  パンを裂き、祈り、喜びと敬虔さを以て神を礼拝していました。礼拝をささげる教会でした。
4.彼らは世界とつながっていました。
  証しと宣教を通して外に向っていました。生きている教会とはビジョンを以て宣教に取り組む教会です。
謙遜を持って聖霊に明け渡し、上よりの力を頂いて、輝きながら宣教しよう。

《真の自由と堕落》2020年6月10日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌150
聖歌230
聖書朗読 創世記3:1〜13、20、21

メッセージ「真の自由と堕落」

神の前にも、裸で恥ずかしいと思わなかった彼らに、何が起きたのか。
悪と良心の呵責、恥辱感はどこから来たのか。

1.創世記は言う、堕落が起こったのです。
ここに出てくる蛇は、サタンの化身です
「彼は偽り者、また偽り者の父」と主イエスは言われた(ヨハネ8:44)
罪悪というものは、外から誘発されたものであるから、絶対他者である神の解決方法によるしかありません。

2.真の自由とは。(2:16、17)
神はアダムに二つの明快な指示を与えられました。
1)思いのままに食べてよいという肯定的なもの
2)園の中央にある知識の木からは食べてはいけないという否定的なもの
禁止事項には、道徳性の尊重の意味がありました。

3.堕落のさせ方は?
/世料碓佞魑燭錣擦
「食べてはならないと言われたのですか」
否定的な言葉で、禁制のものを意識させ、神の善意を無視させようとする心理作戦です。
⊃世凌深造気鯣歡蠅垢
神の絶対性を否定する(3:5、6)
良心の呵責に目が開かれた。
っ僂叛嫻づ床如複掘

タ世箸慮鬚錣蠅諒壊(3:16、17)
彼らは神から隠れるようなった、これが最大の悲劇です。

《キリストの証人となる》2020年6月7日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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賛美歌545
賛美歌228
交読文 55 (ヨハネ15章)
牧師の祈り・主の祈り・使徒信条
賛美歌286
特別賛美 「賛美歌399 悩む者よとく立ちて」
聖書朗読    使徒の働き1:8 2:1〜4
メッセージ      飯塚俊雄牧師
  「キリストの証人となる」
聖歌580
感謝献金
祈り(応答・決断)  飯塚弘道牧師
頌栄 賛美歌540
祝祷・後奏

<今日のメッセージ> 飯塚俊雄牧師
「キリストの証人となる」 使徒の働き 1:8, 2:1〜4
主イエスのご昇天を見送った弟子たちは、主の命令に従って聖霊をお迎えするために祈りの時を持ちました。
 主イエスは、十字架の日が目前に迫ってきた時、弟子たちに二つの希望を与えて、心の支えとされました。
 一つは聖霊によるバプテスマです(ヨハネ14-16)。待ち望んでこれを受けるように命じられました。
 二つ目は、ご自身の再臨です(マタイ24、マルコ13)。いつも心備えしておくように言われました。
 初代教会の弟子たちの不思議な力強さ、この世に生きて、世に流されず、使命を貫くことができた秘訣、それはこの聖霊によるバプテスマと再臨信仰にありました。
 今は聖霊時代なのです。カルバリは語るべき福音をわれらに委ねました。しかし、ペンテコステはその福音を実証する力をわれらに与えました。
 聖霊のバプテスマは:1. すべてのクリスチャンが頂くべき特権です。 2. 受ける心備えのできた人に与えられます。 3. 祈りの答えとして与えられます。 4. 決定的な変革をもたらします。
1.聖霊のバプテスマは、すべてのクリスチャンが頂くべき特権です。
主イエスは、「わたしが去って行くのは、聖霊に来て頂くためです」と。そのためには、私たちが、まず、新生していなければなりません。
 今、この場で、あなたは、罪の赦しと新生の恵みにあずかり、クリスチャンとなれます。
 神から命を与えられた人たちに必要なのは「力」です。新生した魂だけが、このような渇きを持つのです。リバイバルは神の民、つまり私たちから始まります。
2.聖霊のバプテスマは受ける心備えのできた人に与えられます。
 主は約束通り、老若男女、一人一人に聖霊を与えられました。ペテロは、「これは旧約の預言の成就である」と言いました。「青年は幻を見、老人は夢を見る」。
3.聖霊のバプテスマは祈りの答えとして与えられます。
 彼らは互いに愛し合いなさいと言われました。しかし、ねたみがありました。全世界に出て行くように命じられました。しかし、無力でした。彼らはガリラヤ出身の無学の凡人でした。圧倒的な困難、重大な責任と使命、しかし、自分の弱さ、みじめさ。祈りほど、有効、的確に聖霊を求めさせるものはありません。
 1)心から渇いて祈りました。
 2)祈りには一致がありました。誰が祈っても、行きつくところは、「父の約束の聖霊をお与えください」。
 3)きよい動機で祈りました。神の栄光のために。
 4)必ず頂けると信じ、期待しました。
 そして、来るべくしてその日は来ました。
4.その結果、四つのことが彼らの身に起こりました。
 1)主に対する新しい知識、真理への洞察力が与えられた。
 2)力を着せられた。その力とは、
  ー分に勝つ力です。⊃佑望,栂呂任后サタンに勝つ力です。た世望,栂呂任后
 3)愛の人に変えられた。
 4)ビジョンが与えられた。

《神は男と女に彼らを創造された》2020年6月3日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌 150
聖歌230
聖書朗読 創世記 1章27節、2章18、21〜25節
メッセージ「神は男と女に彼らを創造された」

《聖霊のみ力による宣教》2020年5月31日 ペンテコステ聖日礼拝  飯塚俊雄牧師  

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讃美歌545
讃美歌33
交読文 42 (詩編130篇)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌327
特別賛美  聖歌610「いずこにある島島にも」
聖書朗読  使徒の働き1:1〜11
メッセージ飯塚俊雄牧師「聖霊のみ力による宣教」
聖歌570
祈り・頌栄(讃美歌540)・祝祷

「聖霊のみ力による宣教」 使徒の働き 1:1〜11
主イエスは超自然的な方法で地上に来られ、地上での使命を果たして超自然的な方法で天に帰られました。
主イエスは「まもなくわたしの霊、聖霊なる神が行って下さるからね。
聖霊は真理の御霊ですから、あなた方の内に宿り、知恵となり、力となり、すべてとなって下さいます」と言われました。

1.宣教の根源、当事者はご聖霊です。
 「しかし、聖霊が臨まれるとき」とあるのはそれです。
 私たちは聖霊に導かれ、キリストを救い主として信じ受け入れました。しかし、待ち望んで、主にすべてを明け渡して、聖霊に満たされる経験は更に素晴らしいものです。

2.聖霊は、宣教の力です。
 「あなた方は力を受けます」。宣教の根源は聖霊ですが、聖霊が内に来て下さると「力」に満たされます。
 1)きよめられた人格が身に帯びた力
 2)互いに愛し合い、赦し合って一つとなった交わりの力
 3)人の顔を恐れない臨在信仰で歩む力

3.聖霊は、宣教の方法のすべてです。
 その方法とは、キリストの証人をつくるということです。神の取られる方法は、キリストの心を持った人づくりです。

同じ主が、今朝、この場におられます。

《人間の創造》2020年5月27日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌25
聖歌46
聖書朗読 創世記1:26〜28、31
メッセージ「人間の創造」

《私たちは圧倒的勝利者》2020年5月24日 聖日礼拝 飯塚弘道牧師  

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讃美歌545
讃美歌67
交読文 41 (詩編127篇)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌219
特別賛美  賛美歌270「信仰こそ旅路を」
聖書朗読  ヨシュア記5:1〜15
メッセージ飯塚弘道牧師「私たちは圧倒的勝利者」
聖歌270
祈り・頌栄(讃美歌540)・祝祷

「私たちは圧倒的勝利者」 ヨシュア記 5:1〜15
 信仰生活とは神の約束のことばを信じ、約束の地を目指して勝利して行く歩みです。
 ヨシュア記は大切な三つの事実を教えます。

1.信仰は戦いです。不信仰との戦いです。
1.信仰とは実践です。自分の足の裏で踏むところはすでに与えていると神は言われる。
1.神の臨在が約束されています。

 激流逆まくヨルダン川を渡るに当り、ヨシュアは、まず、民を聖別しました(割礼)。
 臨在の象徴である神の箱をかつぐ祭司たちを先頭に置き、民の全員が渡り切るまで、川床に立ち続けるよう命じました。
 ヨルダン川は私たちの古き人の死を意味します。約束の地に入り、敵に勝つためには、十字架のキリストに合体し、古き自我性が死ぬ事です。ヨシュアはその証拠として、川底の石を12ヶ、拾い上げ記念とさせました。

 神は、今でも、ヨルダンの流れを止めるような不思議をやすやすとなさいます。
 小学四年の時、高熱で全身が麻痺し、口もきけず、動くのはまぶただけという、水野 源三さんが、主イエスを心に迎えた時、どのような事が起ったか、そのあかしです。
 彼は日本全国の人々をこえ、世界の多くの人たちの心をゆり動かす主の証人となりました。

 ヨルダン川を無事渡河したイスラエルの前途には、なお、エリコの城が立ちはだかっていました。重い責任を負って祈るヨシュアの前に現れたのは、主の軍の将である神ご自身です(受肉される前の主イエスと言われています)。ヨシュアは主のしもべとなり切って、靴を脱ぎ礼拝をささげ、雄々しく、信仰によって立ち上がります。
 このような態度こそ、いつの時代、どんな事にも勝利する原則です。来週はペンテコステです。私たちも自分を主に献げ、聖霊に満たされて進もうではありませんか。

《初めに神が》2020年5月20日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌150
聖歌497
聖書朗読 創世記1:1〜3
メッセージ「初めに神が」

《主の証人となるために》2020年5月17日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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讃美歌545
讃美歌7
交読文 3 (詩編16篇)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌604
特別賛美  友よ歌おう42「赦すためです」
聖書朗読  使徒の働き1:1〜8
メッセージ飯塚俊雄牧師「主の証人となるために」
聖歌607
祈り・頌栄(讃美歌540)・祝祷

「主の証人となるために」 使徒の働き 1:1〜8
使徒の働きは新約全巻の中でどのような位置を占めているのでしょう。福音書は伝記、使徒の働きのあとの21通の手紙は教理的なもの、黙示録は預言書です。そして、使徒の働きは歴史書です。主イエスの十字架の死と復活、昇天ののち、どのようなことが起ったか。

 そこでは、主イエスが「始め」られた仕事と、聖霊ご自身を通して、ご自分が継続しておられることの間の橋のような役目を果たしているのです。ギリシヤ人の医者、ルカは、「はじめ」という言葉を用い、主イエスは昇天されて、私たちの目からは見えなくなりましたが、主ご自身は今も、私たちと共にいまし、ご自身のみ体である教会を通して、働きを継続しておられる。だから、主のお仕事はいよいよ始まったのですと言うのです。

 イースターと昇天日に挟まれた40日の間、主イエスは、おもに二つのことに焦点をしぼって教えられました。
 1.神の国の到来です。
 2.聖霊のご到来です。

 この二つは相互に結合しており、聖霊が注がれることがメシヤ王国の祝福であると主張されました。しかし、使徒たちは混乱しており、「主よ、今こそ、イスラエルのために国を復興されるのですか」と尋ねています。
 しかし、主はこの問いの答えとして、彼らに、主の証人となる力を与える聖霊について語られ、神の国とは神の民の人生の中に働く神の統治のこと、と言われます。その国は主の証人たちによって広がる霊的支配であり、武力によらず、平和の福音によるのだと。

 さらに、主イエスは使徒たちの狭量な自国中心的な希望に対し、エルサレムから始まる「地の果てにまで」の視野拡大と使命観を訴えています。
 そして、「今こそ」イスラエル王国をという彼らの期待に対し、「いつとかどんな時とかは、父なる神がご自身の権威によって定めている」ので、彼らの知るべき事は、自分たちの全き明け渡しによって、聖霊の人格的内住を受け、ペンテコステから主の再臨に至るまで、その期間が長かろうと、短かろうと、主の力ある証人として立ち、教会による世界宣教に進むべき、と命じられたのです。

 結論として、
 1.宣教の根源は、主イエスご自身です。
 2.宣教の力とは、
信徒たちのきよめられた品性  一致団結した生き方  困難を恐れぬ勇気
 3.宣教を継続させるもの
   主の証人たちを生み出す力  つまり、聖霊に満たされた人材

《キリスト復活の意義 7》2020年5月13日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌126
聖歌547
聖書朗読 マタイ28:16〜20

メッセージ「キリスト復活の意義 7」

復活された主はガリラヤのある山の頂きのかなたから、11人の弟子たちにゆっくり歩み寄って来られます。天と地のすべての権威を掌握された主の主、王の王が近づいて来られます。目ざとい者はイエスを見て礼拝しましたが、遠くてそれがなつかしいイエスであるか疑う者もいた。しかし間近に来られると疑いも晴れ、11人に向かい主は厳かに語り出されます。

1.天地の主権者としての宣言(18)
2.天地の主権者からの命令(19)
3.天地の主権者の約束(20)

1.主イエスは本来、神の御子、つまり神そのものであられましたが、救い主の職務上、ご自身を空しくして人のかたちをとり、死に至るまで、十字架の死に至るまで身を低くし、死をもって、救いを完成してくださいました。
宇宙万物は今や、主のご支配の下にあります。(エペソ1:20-23)

2.主は世界宣教の命令を出されます。
「ですから」という小さな言葉を大切にしなければなりません。
すべての国民に福音を知らせ、彼らを主の弟子とすること。それは、「納得と信頼に基づく従順と明け渡し」を心の中から引き出すことです。「主よ、私はあなたのものです。み心のままになさってください」と申し上げるたましいにすることです。そのためには、なすべき、二つのことがあります。

1)バプテスマです。これは、三位一体の神の御名の権威により、私たちをこの神に結びつけることです。その愛に身を浸して生きることです。
2)すべての事を守るように教えることです。
教育と訓練です。生活学習です。私たちが主の弟子らしくなることです。

3.主は臨在を確約されます。
このような大きな使命に比べれば、私たちはなんと小さなものでしょう。ですから、主ははっきりと、「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されたのです。
その昔、一介の羊飼いでしかなかったモーセを神は召して、エジプトの強大な王の前に立たせ、160万ものイスラエルの民を解放させ、約束の地へと導きました。その秘訣は、「わたしがあなたと共に行く」の約束でした。
主は世の終わりまで、新天新地の創造の日まで、私たちと共にあり、聖霊によって、私たちの内に宿り、歩んでくださいます。

《愛とは交わりと犠牲》2020年5月10日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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讃美歌545
讃美歌24
交読文 7 (詩編23篇)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌511
特別賛美  聖歌492「主イエスのみそばに」
聖書朗読  ヨハネ21:15〜19
メッセージ飯塚俊雄牧師「愛とは交わりと犠牲」
聖歌607
祈り・頌栄(讃美歌540)・祝祷

「愛とは交わりと犠牲」 ヨハネの福音書 21:15〜19
これはキリストの弟子ペテロの生涯の感動的な総括の場面です。彼は主イエスの神学校で三年間学んで来て、今、最終試験を受けるのです。復活された主イエスの問題の

 第一問は、ああせよ、こうしなさいのルールや規則ではなく、愛です。主との人格的な結びつき、そのテーマは、交わりの回復です。クリスチャン・ライフとは主との交わりであり、頭ではなく心、霊性のことです。
 最も大切なことは私たちの性質、品性、すなわち、愛です。

 第二に、主がこのテストに用いられたのは彼の記憶力を探ることでした。場所設定は炭火です。
 あの夜、炭火に当る彼に、人々は何と言いましたか。彼は、三度も主を否んで自尊心を滅多打ちにされます。オレは特別だが、舌の根も乾かぬうちに無残にも崩壊します。

 第三問は、余りにも大切なので、三度もくり返しお尋ねになりました。赦しによる回復使命の問題です。「あなたはわたしを愛しますか」この三度の問いかけは、彼の記憶の傷を癒すご配慮と新しい使命への決断を促す愛です。主は、彼の愛の応答を確認されると優しく、「わたしの羊の面倒を見てやってほしい」とたのまれます。
 キリストへの愛には責任が伴います。責任には犠牲が伴います。

 神を愛するとは、感情を楽しむだけではなく、行動となる動機を与えます。ペンテコステ以降のペテロの超人的働きをご覧なさい。
 このテストの結びに、彼は何と言いましたか。「主よ、あなたは私以上に私をご存じです」と自分を投げ出したのです。これが、最終テストの合格点です。みなさんはいかがですか。

 愛には、三つの意味があります。交わりです。三位一体の神の本質がそうです。
 愛は、行動します。だから御子イエスは地上に人となって来て下さいました。
 最後に、愛は犠牲を惜しみません。それが十字架の主イエスのお姿です。
 主よ、今、私たちにも使命を与えて、愛に生きる者として下さいと申し上げようではありませんか。

《キリスト復活の意義 6》2020年5月6日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌123
聖歌683
聖書朗読 黙示録21:1〜7

メッセージ「キリスト復活の意義 6」
 キリストの復活は、私たち個人の、復活、栄化だけのことではありません。宇宙そのものが新しくされ、本来の目的にふさわしく、完成されるということも含んでいます。
 ペテロは、次のように言います。
「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」(汽撻謄1:3)。生ける望みというのですから、死んだ望み、朽ち行くしかない願望だってあるはずです。
 その生ける望みを、主イエスは「新しい世界」(マタイ19:28)と言われ、「見よ、わたしは万物を新しくする」と約束されました(黙示録21:5)。ですから、「初めに天と地を創造された」神は、罪に堕ちて滅びの束縛の中にある人間と自然界を解放し、「義と平和の宿る新天新地として完成する」約束を与えておられます。
 こうして、「アルファである主イエスは、オメガ」となられます。このような聖書観を貫くものは、十字架で死なれたイエスが、復活昇天され、時満ちて、再臨されるその日、その時に実現・成就します。
 ですから、この「希望」を胸に生きる私たちは、主のみ心を愛し、心から従い、身を以(もっ)て、福音を生きるべきであります。

《あれは主だ》2020年5月3日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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*今週より、別日に収録した特別賛美が入ります。
讃美歌545
讃美歌23
交読文 17 (詩編46篇)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌455
特別賛美 讃美歌第二篇192「シャロンの花」
聖書朗読  ヨハネ21:1〜14
メッセージ飯塚俊雄牧師「あれは主だ」
聖歌650
祈り・頌栄(讃美歌540)・祝祷

「あれは主だ」 ヨハネの福音書 21:1〜14
 今日は、みなさんとペテロになったつもりで、みことばを頂きましょう。復活のイエスはガリラヤで弟子たちに会う約束をしているので(マルコ16:7)彼らはガリラヤに行きました。途上、ペテロはいつもの元気はなく一行のあとからとぼとぼついて行ったという。

1. 個人的に復活の主に会って頂いたと言っても公ではないし、三度も主を呪って否んだ罪が思い出されて、堪え難い自己嫌悪、はがゆさを感じていたろう。

2. 主イエスの復活という驚天動地の出来事の前に狂喜したが、何か夢を見ている思いで足が地につかない。これからどうなって行くのか、すべては主のみ旨の中にある。だがイエスは中々姿を見せない。待つに疲れた。祈り待ち望むこともしないで、村の衆の漁する姿を見て、「オレも漁に行く」と家をとび出す。これを見て他の6人も湖畔に駈けた。

3. 懸命の努力にも拘らず、その夜は、空しく一匹もとれなかった。心がそこになかったからである。私たちも空しさに賭けていないか。
 夜明け頃、「船の右におろせ、そうしたらとれるぞ」の声。果して、大漁。二年前の同じ場面を思い出したヨハネは、直観に鋭く、「あれは主だ」。行動に早いペテロはたまらず、上衣をまとい、岸辺に独り水を切って、主イエスの許に泳ぐ。そのいじらしいペテロの姿に泣け。彼は誰よりも主を待ちこがれていたのだ。

4. そこにはパンもあり、魚もあり、炭はもうおこされていた。主を中心とする朝餉の食卓が明け行くガリラヤ湖畔で。復活後最初の愛餐である。最後の晩餐は夜、この湖畔では朝。あのときは死に行く別離のイエス、今のイエスは彼らに会うために来られた復活のイエス。
 あの時は暗く悲しかったが、今は死を征服された勝利の愛餐。岸辺の波の音をききながら、弟子たちの胸は喜びに溢れていた。

《キリスト復活の意義 4&5》2020年4月29日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌110
聖歌127
聖書朗読 競謄皀藤院10、ピリピ3:20〜21
メッセージ「キリスト復活の意義 4&5」

4.キリスト復活の意義の第四のポイントは、死に対する完全な勝利です。(競謄皀1:10)
「キリスト・イエスは死を滅ぼし、いのちと不滅を明らかに示された」
「福音によって不死の命を目のあたり見せて下さった」(柳生訳)。
死の意味を変えて、天国への栄光の花道とされ、もはや疑うことの出来ない、天国での主イエスとの幸いな永遠を確かなものとされました。
パウロは地上にいるより、「その方が遥かに望ましい」と言っています。

5.第五のポイントは、私たちの卑しい体を、ご自身の栄光の体と同じ姿に変えて下さることの保証です。(ピリピ3:20〜21)。
すなわち、栄化の約束です。
若くして癩(らい)に見舞われ、両目、両手を失った玉木愛子はうたいました。「毛虫 這えり 蝶となる日を 夢見つつ」。
若くして夫人に先立たれた伝道者、藤井武も吟じます。
「輝ける姿を帯びて わが前に
  立てる その日ぞ ああ 踊らしき」。

《見ないで信じる幸い》2020年4月26日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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讃美歌545
讃美歌11
交読文 60 (ヨハネ黙示録21章)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌443
聖書朗読  ヨハネ20:24〜29
メッセージ飯塚俊雄牧師「見ないで信じる幸い」
聖歌433
祈り・頌栄(讃美歌540)・祝祷

「見ないで信じる幸い」 ヨハネの福音書 20:24〜29
1、教会はみんなと一緒にいる時、祝福が起こる。
オレはキミたちと違い、独り悩むタイプだと言っていたトマスにも、ひょっとして、次週行かなければもうイエスに会えないかも、という思いがあったろう、きっと。

2、彼のように納得づくでなければ信じないと、真面目に悩んでほしい。始末に困るのはノレンに腕押しタイプの人間。
イエスは確かに来て下さった。トマスは「傷にさわれ」と言われてさわっただろうか。何もかも、見えぬイエスに立ち聞きされていた畏れ。彼は打って変わって、「わが主よ。わが神よ」と叫び礼拝をささげる。イエスはそれを受け入れなさる。
アブラハムの神、イサクの神は実は、イエスご自身であり、トマス個人の「わたしの」主となり、神となって下さったのである。福音書の求める最高の信仰告白は、このトマスによって成された!!

3、見て信じる目撃証人の時代は終わり、使徒たちの目撃証言を受け入れ、見ないで信じる幸いな時代となっている。だから、ペテロは今の時代人を見通して、あの時代の人たちに次のように、親しみ深く呼びかけている。
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです」。(第1ペテロ1:8、9)
 トマスはインドの西南端ケララにまで行き大きな群れを作り、教会を建てる。マドラスで殉教。

《キリスト復活の意義 2&3》2020年4月22日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

今晩はメッセンジャーが、マスクの代用として息のしやすいシールドを装着しております。

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聖歌125
聖歌446
聖書朗読 汽灰螢鵐15:17、エペソ1:19〜20
メッセージ「キリスト復活の意義 2&3」

2.キリストが復活された意義の第二は、罪の赦しを神が保証されたということです。
「もし、キリストが復活せず、死の中に留まるだけであるなら、私たちの信仰は無意味で、私たちは、罪の力におさえつけられ、神への反逆者として滅びるまでです」というのが、パウロの言い分です。
しかし、イエスは復活されました。
聖餐式の夜、「これは罪を赦すために流される私の契約の血です」とブドウ酒を注がれました。
ご自分の死と私たちの罪の赦しを結びつけ信じる者に、どのような罪をも赦す道を開いてくださいました。(汽灰螢鵐15:17)

3.キリスト復活の第三の意義は、神が私たちの内に働いて、力を与えていて下さる事実です。(エペソ1:19〜20)
「信じる者に働く神の力」は、神の賜物です。
人格の内部に、聖霊によって働き続けていてくださいます。
私たちをキリストのみ姿にまで変えて行く力です。
風に頼る帆船ではなく、内に動力を持つ蒸気船です。

《復活されたキリストと私たち》2020年4月19日 聖日礼拝 飯塚弘道牧師  

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賛美歌 545
賛美歌 121
交読文 2 (詩編第 8 篇)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌 480
聖書朗読 ルカ 24:1〜12
メッセージ 飯塚弘道牧師「復活されたキリストと私たち」
聖歌 447
祈り・頌栄・祝祷

「復活されたキリストと私たち」 ルカの福音書 24:1〜12
死は誰にでも来ます。でもそれは私たちには永遠の悲しみではありません。
キリストは私たちの罪の贖いを成しとげて下さった証拠として、死を破り、復活して下さいました。これがイースターの意味です。
主は確かに甦られました。ですから生けるお方を、死人の中に捜すのは無駄なのです。

1. 主イエス復活の最初の証人はマグダラのマリヤです。女性が証人として地位が認められなかった時代に、主は女性の立場を肯定して下さいました。
最初の日曜日には、次々に五つの場面を通して、主はこれでもかこれでもかと言えるほど、復活されたご自身を見せて下さいました。

2.私たちは、知識としてではなく、経験としてだけではなく、霊的な体験として、キリストの復活を受けとらねばなりません。心の深みに届く経験、それが人間を、私たちを変えるのです。ペテロは主を裏切るという失敗をしましたが、主の前に泣いてお詫びし、見事に再生しました。どんな罪も心から主にお詫びすれば、主は赦して、平安と新しい力を与えて下さいます。

《キリスト復活の意義》2020年4月15日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌121
聖歌126

使徒の働き5章30〜32節 「キリスト復活の意義」

キリスト復活の意義は、私たちクリスチャンの過去、現在、未来と深いかかわりがあります。

1.キリスト・イエスの復活は、人間たちによって下された判決を断固としてくつがえし、イエスが真の神の子・救い主であることを神が立証された、どんでん返しの出来事でした。(使徒5:30〜32)

2.神が私たちの罪を赦して下さる保証が明らかになったということです。(汽灰螢鵐15:17)

3.信じる私たちの内に神が働いてくださる力です。(エペソ1:18〜20)

4.死に対する勝利です。(競謄皀1:10)

5.私たちの卑しい体をご自身の栄光の体と同じ姿に変えてくださることの保証です。(ピリピ3:20〜21)

6.私たち個人のからだの復活だけではなく、義と平和の宿る、新しい宇宙の完成です。(イザヤ65:17)

7.以上6つのすばらしい事実と輝かしい約束が、キリスト復活の結果として信じる誰にでも与えられている私たちには、世界宣教という崇高な責任も付与されています。(マタイ28:18〜19)
この宣教命令はキリストご自身の復活に起因しています。主イエスはここで宇宙の主権を主張し、私たちに命令を下しています。
そして、「いつも共にいる」と約束をもって励ましておられます。

《復活されたキリストと共に》2020年4月12日 イースター聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

※冒頭5秒ほど音声が切れております
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賛美歌 545
聖歌 123
交読文 58 (コリント前第 15 章)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
賛美歌 154
聖書朗読 ヨハネ 20:19〜23
メッセージ 「復活されたキリストと共に」
聖歌 127
祈り・頌栄・祝祷

「復活されたキリストと共に」 ヨハネの福音書 20:19〜23
「私はすでに世に勝っている」。これが復活の主が今も語り続けておられる言葉です。
主イエスのご臨在がこれほどまで大きな変化をもたらすものかという驚きです。今までユダヤ人たちの襲来を恐れ、ドアのかげに肩を寄せ合っていた彼らが立ち上がったのです。
主イエスは、優しく挨拶されます。命令を下されます。そして、大切な約束を与えます。

一、 平安があなた方にあるように。
この平安は、良心の平安でした。彼らには赦しが必要でした。
赦しの確信なしには他人に赦しを語れようか。
聖餐式のパンとぶどう酒は、あの日の主の手と脇の傷に相当します。
今朝、私たちは主を見て喜んでいるだろうか。

一、父がわたしを遣わしたように、遣わす。
これは世界宣教命令を簡潔にしたもので、私たちの人生に挑戦的な迫力を持っています。この命令を無視した人生は無気力です。
「み父がみ子を遣わす」とは、死ぬためでした。私たちの罪を負うために呪われた者になるためでした。
しかし、この死が全世界に救いをもたらし、今の私たちがあるのではないでしょうか。
ここに本物の伝道のひな型があります。すべての人にこの救いを届ける使命が、私たちにはあります。

一、聖霊を受けなさい。力は待望する人に。
イエスは、彼らに息を吹きかけ、しるしをもって、その約束と確証を与えられます。
ペンテコステの力の約束を保証する感覚的なしるしでした。
聖霊は主イエスの賜物であり、宣教の力です。
教会には聖霊による力と福音のメッセージが委ねられ、悔改めを条件に、罪の赦しと神との和解のことばが与えられています。

《歴史を変えた十字架》2020年4月8日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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讃美歌142
讃美歌136
聖書朗読 ルカ23:33
メッセージ「歴史を変えた十字架」

「どくろ」と呼ばれる場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。
その時、だれが、この呪わしい十字架が聖化され、神の栄光の象徴、愛と主権のしるしになるとは想像できたでしょうか。
主イエスが十字架で死なれた動機とその結果を二つずつあげてメッセージとします。
 
一、主は自ら進んで十字架につかれました。
かねて主は言われました。「わたしは自分から命を捨てるのです」(ヨハネ10:18)
ここに意志的な自発性があります。

一、よき牧者は羊のために命を捨てる。
ここに救い主としての必然性があります。

一、主の死のおかげで、その贖いにより、私たちは罪の赦しと永遠の命にあずかれる。
「キリストはご自分が呪われることで、私たちを律法の呪いから贖い出して下さいました」(ガラテヤ3:13)。

一、キリストの十字架は、私たちが地上での生涯をいかに生きるべきかのモデルです。
自我に死に、負うべき十字架を負って、主に従うことです。
「父がわたしを遣わされたように、あなた方をつかわす。聖霊を受けよ」。

《キリスト者の苦難と栄光》2020年4月5日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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賛美歌545
賛美歌24
交読文12(詩編33)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白
聖歌520
聖書朗読 第汽撻謄1:6-8,3:13-15,4:12-14,5:10-11
メッセージ「キリスト者の苦難と栄光」
聖歌118
祈り・頌栄・祝祷

「キリスト者の苦難と栄光」 ペテロの手紙 1:6-8,3:13-15,4:12-14,5:10-11
今日、世界のどこにでも生きる苦しみが満ちています。コロナウイルスが猛威を奮い人間が造り出した文明を根底から揺さぶって無気味です。
飢えと貧困、不正と暴力、人種差別、政治経済の地盤沈下。キリスト者にとっても、生きる事は戦いです。聖書は私たちのつらい人生経験を3つの重い言葉で表しています。

(1).「重荷」、神なく生きて来た人類の一員として、病気、挫折、裏切、失業など。  
(2).「十字架」、主の弟子であるが故に負うもの。
(3).「とげ」、主と当事者しか知らない苦しみを通しての主との交わり。

1. 苦難の目的は主への誠実さの証しです。試されていない信仰は弱々しい。最近、三浦綾子の著「われ弱ければ」矢嶋楫子(かじこ)伝を読み感銘を受けた。三人の子を残して、酒乱の夫の許を去った彼女が女子学院、婦人矯風会を造るまでの力強い戦いの記録。
誠実一筋。
1. キリストの主権に自分を明け渡す決断。3:13-14。
1.主との親しみ。4:12-14。主の苦しみにあずかる親しみの光栄なことよ。

《神である人の祈り》2020年4月1日 聖書研究祈り会 飯塚俊雄牧師  

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聖歌396
聖歌399
聖書朗読 ルカ23:34
メッセージ「神である人の祈り」

来週は受難週ですので、今夕は、主イエスが十字架の上で父なる神に祈られた、とりなしの祈りから教えられたいと思います。

父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分で分からないのです。

私たちが人間として生まれて以来、この日、この時、主イエスの十字架の上で、これ以上神聖な祈りがささげられたためしはありません。
これは人間の祈りと言うより、むしろ、神に対する神の祈りです。
父よ、という呼びかけは、神の独り子ですから言えた親しみのことばです。それは、御自分を死なせることをさえ、よしとされた、み父のご意志に心から同意しておられた事を示しています。

クリスチャン作家として、力強い生涯を送った三浦綾子さんは、この祈りに、神を見たと告白し、クリスチャンとなりました。
日本が戦いに破れ、小学校教師として、教えるべきことばを失った彼女は、生きるのぞみも失い、同時に結核を病み、脊椎カリエスとなり、長年、ギブスベッドにくくりつけられた日々を、虚無と絶望の日々を送ったのでしたが、ついに、十字架上のキリストの祈りに
心の目が開かれ、太陽は再び没せずと言い、輝かしい作家となられたことをご存知と思います。

主イエスはこの祈りによって、十字架はその根源において、神が愛でいますこと、私たちのどんな罪も赦すあがないの力であることを実現し、保証して下さいました。

主イエスは実に、この事のためにこの世に生まれて来て下さったのでした。
この時の、キリストの死は、全人類の将来に、そして歴史全体に決定的な影響を与える大事件でした。

ですから、自然そのものが、主の死に反応し、太陽は顔をかくし、やみが三時間も全地をおおったとあります。
人間が自分の犯した罪に震えることもしないので、地面が罪の重荷に耐えかね、地震がおきたと言っています。
キリストの死は、今までの律法の時代に終わりを告げ、恵みの時代の幕明けを宣言しました。
至聖所の神殿の幕は上から下まで真二つに裂け、罪人の私たちも、自由に、罪の赦しときよめを求め、直接のみ前に入る道が開かれたのです。

ところが、このような大事件を目の前にし、十字架のすぐそばにいながら、「彼らは自分で何をしているのか、自分で分からないのです。」と主イエスに見られているのです。
主イエスを十字架につけた人たちは、「何をしているのか、自分で分からない」人たちでした。
それは、自分のしていることがどんなに愚かで罪深いものであるか、気づいていないということです。

また、イエス様の祈りが自分のためだということが分からないということ、そして、自分の犯した罪が神の子を十字架につけたのだということが分かっていない、霊的に無関心であるということです。

どうして、彼らは、こうしたことが分からなかったのでしょう。

1 彼らは、自分の目先の利益、自分の保身にとらわれていたからです。
  ローマ総督のピラトは、自分の保身のことだけしか考えていませんでした。
  ユダヤの指導者たちは、自分の立場、宗教のこと以外は考えませんでした。
  兵隊たちは、イエス様の着物を手に入れることしかアタマにありませんでした。
  人々は、指導者たちの大声に扇動されて恥もなく動くだけでした。

2 救いが必要なのは、今、十字架につけられている三人の人たちで、自分たちではないと思っていました。

3 神そのものを畏れていませんでした。
  神がすべてをご存知で、必ず白黒をつけられる日があるという畏れがありませんでした。
良心が麻痺していたのです。
しかし、これらの人たちも数日後ペンテコステの日、ペテロの説教に応答し、初代教会のメンバーになって行きました。

なぜ、イエスさまは、わたしを信じなさいと言われなかったのでしょう。大音声をあげて言われてもよかったはずです。
しかし、主はそうされず、「父よ、赦してあげて下さい。」と。
私たちは、この主の愛に赦されねばならぬ罪人であることを知りてこそ、主を、信じることができるからです。

《主に従い行く楽しさ》2020年3月29日 聖日礼拝 飯塚俊雄牧師  

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賛美歌545
賛美歌491
交読文55
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白
聖歌459
聖書朗読 第汽撻謄1・2〜3、14〜15、22
メッセージ「主に従い行く楽しさ」
聖歌518
祈り・頌栄・祝祷

「主に従い行く楽しさ」 第汽撻謄1章2〜3、14〜15、22節
この手紙は大それた罪を犯しながらも見事に立ち直り、力ある使徒として用いられたペテロの手紙で、慰めと優しさに満ちています。
 しかも、この手紙は暴君ネロの迫害が激しくなる64年頃に書かれ、読む者を励まします。
 現代は、「従順」は正に失われた言葉です。
一、それは私たちの選びの中にあります。「キリストに従い、御霊のきよめにあずかっている人たち」(2節)とは私たちのことです。
 私たちは聖霊によって主に従うために選ばれました。選民イスラエルは選ばれた責任を忘れ、自分の安全と特権に溺れました。主はモーセを通して従順を促し、身分に伴う責任を自覚するように訴えました。「信仰と従順(トラストアンドオベイ)」はコンビです。勝利の方程式です。
一、私たちが従うべきお方は受肉された主イエスです。主の苦難とそれに続く栄光。受肉がなければゲッセマネもゴルゴダもなく、私たちの救いもありませんでした。
一、従順は、心と生活を通して実証すべきです。(1節)世俗社会に対して(14、15、22節)。愛に燃える生き方で(15、22節)。従順は自分を直視し、誤りを認め、悔い改め、主の血で洗われ、他者との関係修復で実証されます。

《キリスト復活の意義》2019年4月21日 飯塚牧師  

汽灰螢鵐15:1〜10

 私たちの救い主イエスは、十字架で人類の贖いを成し遂げられました。西暦54年に、使徒パウロの書いた手紙に、復活のキリストにお会いした人たちが、実名で記され、その時点でなお五百名の目撃者が生存しているから、確かめて見なさいと、本気で言っている。私たちは彼らの人格、品性を見るとき、その証言を疑うことが出来ません。

主の復活の意義は

/祐屬六爐鬚發辰討垢戮討終るのではない。地上で見える人生はその人の生存の全部ではない。永遠を目的として生きるべきである。

⊇住架の死は、罪ある私たちの身代りであることを立証した。
「わたしは多くの人の贖いとしていのちを捨てる」との言葉通り。その贖罪を神が受け入れた証拠としての復活であった。

人類の敵である死そのものを克服し、そのキバを抜かれた主イエスは全宇宙の主権者でをつける日まで、主はご自身の聖霊によって信じる者の内に宿り、歩んで下さる。

《生と死のはざまで輝く》2019年4月14日 飯塚弘道牧師  

ピリピ1:12〜26

 パウロはいつでも私たちに信仰の挑戦をかけてくる人です。当時、彼はローマの獄中で苦々しい思いで、頭に来て当然でした。が、

1.不当に投獄されてもなお喜べる心を持っていた(14)。ネロの弾圧下にいたのに。
2.同僚の悪意、いやがらせにも平安(15)
3.主のお取扱いにも、何の疑いも持たない。

 そして言う。「このことをわたしは喜んでいます。これからも喜びます」(16)
 見よ。彼の投獄生活は、祝福の勝利だった。

なぜ。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになった。 〈ローマ8・28〉。

/同丗發料完に福音を聞かせるチャンス となった。入獄したればこそのチャンス。
間接牧会の形で、群れを励ますことにな り、外部の人たちは彼の生き方に心燃やさ れた。
この獄中の孤独と苦しみが、祈りと聖霊 に支えられて、彼を潔め完成へと導くこと になった。彼の関心事は唯一つ。神の栄光。

〈私にとって、生きることはキリスト〉(21)

《日々の恵みに生きる》2019年4月7日 飯塚俊雄牧師  

ヨハネ2:1〜11

 主イエスはメシアであることのしるしとして最初の栄光をカナの村の婚宴の場で現わされた(11)。

 ゼ腓老觝Г鮨誓擦覆發里箸靴峠吠,気譴襦
それは、主ご自身と花嫁なる教会の合一を可見的に示しているからである。

◆タ誉犬砲蓮喜びの時にも、突如としてぶどう酒がなくなる時がある。しかし、主が同席されている祝いの座は幸いなるかな。(9)

.主は目立たない人たちを選んで用いなさる。彼らは命じられるまま、村はずれから水を汲む。水がめを縁まで満たした。
心からの従順である。「持って行け」と言われたことばにも有無言わず従う。(8)

ぁソ召辰真佑世韻知る神の恵みのわざ。
「水を汲んだ者たちは知っていた」(9)。

主は今も「わたしのやる仕事に協力して下さい」と言われる。目の前にあるのはただの「水」です。水を汲むのは小さい仕事です。しかし、その水が必要とされる人たちのもとに運ばれて行く時、妙なる天来のぶどう酒に変わり、人をなごませ、喜びに満たす。

《どんな平凡な人も理想の人に》2019年3月31日 飯塚俊雄牧師  

ヨハネ1:42

 キリストの福音宣教活動は青年を主力として始まった。彼らが主イエスに従っていったのは20代の頃だった。青年には夢があり活力がある。また孤独感と人知れぬ葛藤も。しかし、未知の霊的世界に、目が開かれる神の時でもある。あなたの若き日に神と出会おう。

ここに一人の無名の男が弟に連れられて、イエスの前に立った。イエスはじっと彼に目を留めて「あなたはシモンです。あなたをペテロ(岩)にします」。果せるかな彼は卓越した使徒となり、歴史的な人物と変貌する。
 現実と可能性の不気味なはざまに堅固な橋を架け得るのは、人となられた神しかない。

一、キリストには出来る。ついて来なさいと。
 彼の前歴のすべてを知り尽くされた主は、
あなたを…にすると保証し、まず罪の力、束縛、罪責から解放される。十字架の恵みで。

一、キリストはあなたを支える、聖霊によって。わたしに明け渡しなさい。最高の可能性開花させてあげる。一、あなたを証人とする。彼自身のことばを聴こう。一ペテロ3・15。

《救霊の使命に生きる》2019年3月24日 飯塚俊雄牧師  

ヨハネ1:35〜42

 バプテスマのヨハネが「おお、見よ、世の罪を取り除く神の子羊」、「聖霊によってバプテスマを授けるお方」と。感動を以て指さすお方を見れば、四十日四十夜サタンとの苦汁に勝ち抜いた主イエスの神たる風格に心打たれ二人の弟子はイエスに従っていく。「何を求めるのか」と動機を問われ、「来なさい」と宿に伴う主イエス。時は四時頃。人生を思い、時代の命運、時の徴(しるし)に感じたヨハネとアンデレは今、膝をつき合わせてメシヤの言に聴き入る。「私たちはメシヤに会った(ユーレカメン・トン・メシアン)」

その感動に心は熱く燃えた

ここに救霊者アンデレの秘訣を見る。

一、確信である。「今、出会った」と言い切っている。自分に確信があってこそ人にも持たせ得る。彼は罪の重大さを知っていた。悔改めの必要性。心を変えて神に向き合う。告白こそ霊の癒しの唯一の道。

一、伝える力があった。働く信仰である。

一、最も良い意味で普通の人として満足していた。いつまでも紹介役(六・8)。

《共に恵みにあずかる人たちよ》2019年3月17日 飯塚弘道牧師  

ピリピ3:11

「あなたがたを心に覚えている」、「あなたがたすべてを慕っている」、あたかも恋人に対するような言葉で、遠いローマの獄中からパウロは呼びかけています。
私たちの交わりの土台は何でしょう。

/世里い里舛任后
△修譴楼Δ鯑圧,箸靴篤きます。
主ご自身が中心です。

ヨーロッパ最初のキリスト者を生んだピリピ教会は、ルデヤと女奴隷と看守の三人でした。しかし、キリストにある神のいのちが彼らを結びつけ、次第に強固なものへと成長。愛は、必ず他者の立場、必要、状況に配慮します。福音のために共に戦い、共に恵みにあずかり、やがての栄冠へと導く力だから。

パウロは挨拶、感謝、そして成長への祈りを献げる。)かさへの祈りです。「あなた方の愛がいよいよ豊かになって欲しい」と。∪気靴と獣芭蓮その感覚と霊的な洞察力において。最善と次善の識別力を。5舛亮造頬たされ、神の栄光となるように。神のご性質にあずかった私たちがキリストの姿にまで。

《主の恵みの年とナザレの人々》2019年3月10日 飯塚俊雄牧師  

ルカ4:14〜30

サタンの誘惑に勝たれたイエスは郷里ナザレに赴き、幼少の時から通いなれた会堂で、「主なる紙がわたしに油注がれた」(イザヤ61:1-2)を朗読し、「今日、この御言が実現しました」と宣言された。キリスト(救世主)というギリシャ語はユダヤ語ではメシヤ(油注がれた者)の意味で、ぴったりです。

この日から「主の恵みの年」が始まりました。「今は恵みの年」が始まりました。「今は恵みの時、見よ、今は救いの日」(第二コリント6:2)なのです。罪にうちひしがれている人、人生の無意味さに幻滅している人は、本当の自分を取り戻し、「見よ、すべてが新しくなりました」と言えます。

五十年に一度の「ヨベルの年」が今やキリストの十字架と復活により、霊的に現実化されました。しかし、当時のナザレの人たちは主の言葉を道ばたに落ちた種子のように拒絶しました。一時は恵みの言葉に感嘆したのですが、偏見とねたみと不信仰により、その恵みの言葉を受け入れませんでした。メシヤの来臨と救いを待っていたのです。

《暗き世の光キリスト》2019年2月24日 飯塚俊雄牧師  

マタイ4:12〜17

取税人であったマタイは主イエスの全生涯の舞台を、殆ど北のガリラヤ地方にしぼって福音書を書いた。南方のエルサレムに行くのは、十字架に死ぬためだけ。なぜイエスのガリラヤ伝道にだけ意義を見出したか。三つある。

一、先駆者ヨハネが捕えられ、働きが終息した時を本番のメシヤの宣教開始の時と受け止め、ヘロデの本拠地に「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣言、敵地に乗り込まれた。

一、ガリラヤの民に伝道する使命のためである。イザヤ9:1は成就した。ゼブルン族とナフタリ族の両部族の境界線にカペナウムがあり、拠点とした。正に異邦人の世界、暗黒の民、死の陰である。そこに光をもたらす。紀元前9世紀アッスリヤに侵され、混血民族となり、宿命的に迷信、偶像に走る民、明かりの無い彼らの心の闇に光を投じるため。正しい神知識と神信仰が無いならば、科学によっても迷信は克服できない。魂を空き家にするだけである。

一、悔い改めよの声は響く。悔い改めの実無くして、暗黒の心に光を見た者などいない。

《喜びを友として》2019年2月17日 飯塚弘道牧師  

ピリピ1:1〜11

ピリピ書は使徒パウロがローマの獄中で書いた手紙ですが、主題は「喜び」です。喜べるはずのない状況にあってなお喜び、感謝する霊性の持ち主こそ人生の真の勝利者です。

この手紙は、挨拶で始まり、感謝、祈りが続きます。千キロも離れたピリピの教会を思い出すたびに感謝、感謝が湧くのはなぜか。

使徒16章11、12節がそれである。欧州に初めてキリストの福音が、パウロとシラスの二人によって渡った。これこそ世界の歴史を変えた最大の事件でした。教会形成には次の三つが不可欠です。

一、働き人の従順。パウロたちは行き詰まりを感じ、立ち止まる。夢に見た「来て助けよ」の幻を聖霊の導きと信じて従う。

一、御霊による救霊のみ業。ルデヤがまず救われ、女奴隷、そして看守。静かな回心もあれば、劇的な回心もある。

一、反対勢力。救霊の戦いの進むところ、光と闇がはっきりし、闇は牙をむく。犠牲なしには働きは進まない。あの痛み、あの苦しみは無駄ではなかったと知る時、感謝は溢れる。

《人生に勝つ生き方》2019年2月10日 飯塚俊雄牧師  

マタイ4:1〜11

主イエスが受けられたこの誘惑には、どんな意味があるのだろうか・神の愛子(あいし)と宣言され、救い主として公的に就任されたイエスに、神の敵サタンが攻撃して来ないはずはない。だが、主はメシヤとして公的に勝利された!

一、もしあなたが神の子であるなら、とは、天の御声を野次る囁きである。神の子なのだから石をパンに出来るはずではないか。事実に基づく条件文で詰め寄ったのである。
パンの問題は私たちにとって重大である。しかし、パンが解決した時こそ、罪と死と苦難の最重要の問題が起きる。主は「と書いてある」と誰でも使える武器で勝っておられる。

一、先の主の答えに対する揚げ足取りの誘惑である。「そんなに神の言葉にしがみついているなら、飛び降りて見よ」。神の宮のただ中でアッと言わせたらどうだ。主は申命記6章16節から「神を試みるな」。十字架と苦難とか言わず人の心を掴むのだ。

一、ちょっと頭を下げればいいんだ。目的のためには手段を選ばずだ。福音か政治力か。

《恵みとまことに満てるキリスト》2019年2月3日 飯塚俊雄牧師  

マタイ3:13〜17

一、バプテスマのヨハネの洗礼と主イエスの洗礼はどの点で違っていたのでしょう。
ヨハネは「メシヤがそこまで来ているぞ、悔い改めにふさわしい実を結べ」と人々に説きました。彼は雪原に立つ一本の巨木のような存在で、人々を悔い改めさせることを使命とし、その叫びは畏怖そのもので、ある人々には恐怖でした。
しかし、主のバプテスマは悔い改めを迫りながらも、優しさ温かさがありました。語る言葉も人柄も明るく喜びに満ち、子どもたちをも惹きつけました。

一、なぜ神である罪なきイエスがヨハネからバプテスマを受けられたのでしょう。
ヨハネには旧約と新約の橋渡しとして、メシヤの先駆者として偉大性がありました。
主イエスの受洗はナザレの私生活から公生涯に立つ転換点であり、メシヤ執任式でした。真に人間と一体になるため罪の中にまで入って下さいました。それは十字架で罪を贖う予表でした。天が開け聖霊が降り、御父の「わが悦ぶわが子」の承認を得て、メシヤ再確認の時となりました。

《神に会う備えをしよう》2019年1月27日 飯塚俊雄牧師  

ルカ3:1〜30

 荒野に叫ぶ声、ヨハネは旋風のように現れ、ユダヤの全地を揺さぶった。彼はメシヤ、イエスの先駆者として、「神なる救い主が来られる、主の通られる道を真直ぐにせよ。悔い改めにふさわしい実を結べ」。舌端火を吐く彼の権威あることばに人々は群がり、悔い改めのバプテスマを受ける。

 もしや、この方こそメシヤではないかといぶかる人々に、彼はきっぱりと「私のあとから来るお方こそメシヤです。私はそのお方の靴のひもを解く値打ちもない」と名言。やがて主イエスのお姿を拝して、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」と紹介、「この方こそ、私たちの罪を赦し、聖霊のバプテスマを施して下さるお方」と指さす。神の御前には無に等しい自らを告白し、不義を責めることにおいては王といえど恐れない無私一筋。

 こうして彼はヘロデ・アンティパスの手によって殉教する。女性の生んだ人の中の最高、と主は賞賛されたが、主の十字架の贖いと聖霊の恵みにあずかる天国の子らは彼に勝ると(マタイ11:11)。ああ恵みよ。

《人生の至福に生きる》2019年1月20日 飯塚弘道牧師  

ピリピ1:19〜26

 はたちの私は怪我の傷をいたわりながら、進み行く教会のにぎわいをよそに、一人音楽を友として、本当の生き方を模索していました。そのような時、ある方の好意により、アメリカでの聖会に出席させて頂いたのです。そこで聴いたメッセージ。それが今日の私を生かし、使命に立たせているすべてです。

 今、ローマの獄中にいる使徒パウロは告白します。
私にとっては生きる事はキリスト。

一、キリスト者であるということは、個人的な経験です。人は人、しかしこの「私にとっては」。主と結びついたら誰も恐れません。

一、それは、現実的なことです。「生きることは」見て下さい。キリスト中心でしょう。どんな事もキリストと共有です。一つのいのちの交わりです。ここに「きよめ」がある。

一、それは、キリストご自身が全責任を持って下さることです。私を愛して死んで下さり死を破って復活されたキリストは、永遠まで保証して下さる。だから、どんなことでも、「できる」のです。これが信仰の奥義です。

《成人になった日のモーセ》2019年1月13日 飯塚俊雄牧師  

ヘブル11:20〜28

 三千数百年前のモーセという人物が、今なお私たちに感動と勇気を与えるのはなぜか。成人した時の決断が最高のモデルだったからである。誰もが避けて通れない四つの原則。

一、自分とはだれか。自己認識である。彼はヘブル人であるのにエジプトの王宮に育ち、バラ色の将来が。でも正直にありのままの自分を受け入れ、王宮を捨てた。

一、自分は何になるべきか、人生の目的。彼は神の民と共に生きる道を決断した。

一、自分は何を人生の至上課題とするか。究極の価値観である。キリストのゆえに受ける苦しみをエジプトの宝に勝ると評価した。

一、彼は自分のビジョンに勇敢であった。不屈の忍耐力。見えないお方を見ていたから。

これら四つの原則を明確に選択できた秘訣は、燃ゆる柴の経験であった(出エジプト3:2)。燃えても燃えても燃え尽きない臨在される神の神秘。現代人は昔の人たちより、ずっと豊かですが、決して幸福ではない。「超越」という存在、神を見失ってしまったからです。

《三つの十字架》2019年1月6日 飯塚俊雄牧師  

ルカ23:32〜34、ガラテヤ2:19〜20

 キリストの十字架は、ただ一度の出来事です。人類を滅びから救うために、御子イエスの死の代価で贖うという超自然的な恵みは一回限りで完全でした。しかし、私たちが信仰に成熟するためには三つの十字架体験が必要です。

一、私のための十字架。これは、神に背き、神を無視した罪と恥の生涯を、神が主イエスの死に免じて赦す、と言って下さる身代わりの十字架です。信じて、感謝して悔い改めるなら、永遠のいのちが頂けます。

一、私も共につけられた十字架(ガラテヤ2:19〜20)神のこどもとして光栄ある人生をスタートしたものの、なお自分の中に自己中心性があることに痛みを感じます。犯した罪は赦されても。犯させた本性も主は解決してくださいます。
「われキリストと共につけられたり。もはやわれ生くるにあらず、キリストわが内にありて生くるなり」。これが潔めです。信仰の奥義です。

一、十字架を負う歩み。これが主が見せて下さった勝利者の道です。

《全能の神治め給う》2018年12月30日 飯塚俊雄牧師  

黙示録19:1〜9

 自国第一主義、民族の分断、テロの多発、難民の流入に手を焼く指導者、クールな人々。世界はかつてない週末の様相を呈している。

 今年の前途は暗いと七割以上の人々が思っている事実の中にも、私たちは救い主を仰いでいるが、同じお方が私たちの永遠の伴侶であり、万物の支配者として歴史に終止符を打たれることを知っているだろうか。「主は王となられた」(6節)と既成事実として預言している。

 歴史の初めと終わりを御手に握っておられるのは、十字架で死んで下さったイエスである。主は罪に汚れた宇宙をきよめ、贖われた私たちをご自身の花嫁として、新天新地を備えて下さる。それを宇宙の完成される日と言う。

一、その時、サタンは抹殺され、滅亡する。

一、全き勝利、完全な歓喜、私たちは高らかに十字架の主を讃える。それを先取りして、古き自分との訣別こそ今なすべき決断である。

一、あぁその日、地上でのすべての悲哀、涙、不条理の意味が明らかにされ、神の最善が成されたと知り、慰められ感謝に溢れる。

《クリスマスの奥義》2018年12月23日 飯塚俊雄牧師  

ルカ2:1〜20

 人となられた赤子イエスは、神の権威を身に帯びて居られた。

一、もみじのような可愛いみ手で、赤子イエスはヨセフとマリヤをナザレの村からベツレヘムへと引き寄せた。旧約の預言を成就させるためである(ミカ5章)。ローマの皇帝アウグストスは旧約聖書もマリヤも知らなかったが、神のみ手に支配されていた。

一、赤子イエスは降臨にあたり天軍を引き寄せ、福音を告知なさった。全能の創造主が一介の赤子となり、全人類を罪と死の束縛から解き放つために、十字架の死へと向かわれる。天使たちは極限の愛に驚嘆し、心から神の栄光を歌い、福音のニュースを告知する。

一、赤子イエスのみ手は、羊飼いたちを、福音の証人とするために、馬小屋へと引き寄せた。救い主のしるしは、飼い葉おけに寝ている赤ん坊。埋葬用の布にくるまれて。実に、主イエスは死ぬために来られたのである。私たちを天の栄光へと導くために。羊飼いたちは赤子イエスを礼拝し、歓喜にあふれ、家庭、職場に戻り、最初の証人となった。

《クリスマスのおそれ》2018年12月16日 飯塚弘道牧師  

ルカ1:36〜38

 クリスマスそのものは天地を揺るがす大歓喜でした。でも、神が見える人となる出来事は人の心に聖なる恐れを起こしました。

一、羊飼いたちの恐れ。(ルカ2:8〜12)夜の闇の中に突然輝いた天の栄光、神の臨在のしるし。汚れた日常性に慣れた私たちはこの聖なる介入に恐れずにおれません。ペテロも、ある日、不漁のあと、主の言葉に従って網を下ろした時、思わぬ大漁に突然心の眼が開け、イエスの中に神の栄光を見て叫び、ひれ伏しました。「私から離れて下さい」。この聖に対する戦慄こそ、神への熱愛へと変えられます。み言葉に従って主を尋ねて行った羊飼いたちは主を見て歓喜しました。

一、マリヤの驚き。(ルカ1:26〜31)彼女の恐れ、とまどいは空前絶後の使命に従うことへの決断にありました。婚約者との仲も一切を献げ得たのは、神には不可能はないの一言でした。聖霊に心を明け渡す時、私たちも内住の主を、生涯宿すことができます。

一、ヨセフの苦悩。マタイ1:18〜21、マリヤの身に起きたことの意味を知った彼は毅然としてマリヤを守る人となりました。

《天の明るさに生きる》2018年12月9日 飯塚俊雄牧師  

ルカ2:8〜20

 クリスマスの夜の、天の明るさは、神の真実さと愛を讃える明るさです。神であるみ子が地上に来られる宇宙的大事件に、み使いたちは感動し、力いっぱいの賛美を献げます。

一、その夜の天の賛美。主の降誕が無ければ、私たちを罪の審きと死の恐れから救う救いはなかった。
,換瀉造蓮地上に天の栄光を、私たちの内にもたらした(競灰螢鵐3:18)。
地上に天の平和を、私たちに平安な心をもたらした。

一、地上における讃美。
〆能蕕忙身したのは、羊飼いでした。彼らはみ使いの告知を聴くと、疑わず、直ちに応答し、暗い夜道を走り、救い主に会いに向かった。
∪峪劵ぅ┘垢鮹気慧てた彼らは、赤子イエスを約束のメシヤと信じ、感謝し、自分たちの救い主として受け入れ、喜びに溢れた。
最後に、家庭に戻った彼らはすでにキリストの証人であった。大切なことは、示された知識に従って行動することです。賛美する人生はそこから始まります。
「み父がみ子を世の救い主として、つかわされた」(汽茱魯4:14)

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