東京都西東京市プロテスタントキリスト教会・東京若枝教会

東京若枝教会

東京若枝教会のホームページへようこそ  

 ようこそ!教会は心のくつろぎの場です。
  教会は魂の深い渇きが満たされる場です。
   牧師にご用のある方は遠慮なくご連絡ください。
     祈ってほしい方もどうぞ      牧師

お知らせ  

メッセージ配信  

収録時はスタッフ間の距離を十分とり、
換気や消毒など感染症対策を行って最少人数にて撮影しております。

5月27日 聖書研究祈り会  

YouTubeで視聴 YouTubeで視聴
聖歌25
聖歌46
聖書朗読 創世記1:26〜28、31
メッセージ「人間の創造」

5月24日 聖日礼拝  

YouTubeで視聴 YouTubeで視聴
讃美歌545
讃美歌67
交読文 41 (詩編127篇)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌219
特別賛美  賛美歌270「信仰こそ旅路を」
聖書朗読  ヨシュア記5:1〜15
メッセージ飯塚弘道牧師「私たちは圧倒的勝利者」
聖歌270
祈り・頌栄(讃美歌540)・祝祷

「私たちは圧倒的勝利者」 ヨシュア記 5:1〜15
 信仰生活とは神の約束のことばを信じ、約束の地を目指して勝利して行く歩みです。
 ヨシュア記は大切な三つの事実を教えます。

1.信仰は戦いです。不信仰との戦いです。
1.信仰とは実践です。自分の足の裏で踏むところはすでに与えていると神は言われる。
1.神の臨在が約束されています。

 激流逆まくヨルダン川を渡るに当り、ヨシュアは、まず、民を聖別しました(割礼)。
 臨在の象徴である神の箱をかつぐ祭司たちを先頭に置き、民の全員が渡り切るまで、川床に立ち続けるよう命じました。
 ヨルダン川は私たちの古き人の死を意味します。約束の地に入り、敵に勝つためには、十字架のキリストに合体し、古き自我性が死ぬ事です。ヨシュアはその証拠として、川底の石を12ヶ、拾い上げ記念とさせました。

 神は、今でも、ヨルダンの流れを止めるような不思議をやすやすとなさいます。
 小学四年の時、高熱で全身が麻痺し、口もきけず、動くのはまぶただけという、水野 源三さんが、主イエスを心に迎えた時、どのような事が起ったか、そのあかしです。
 彼は日本全国の人々をこえ、世界の多くの人たちの心をゆり動かす主の証人となりました。

 ヨルダン川を無事渡河したイスラエルの前途には、なお、エリコの城が立ちはだかっていました。重い責任を負って祈るヨシュアの前に現れたのは、主の軍の将である神ご自身です(受肉される前の主イエスと言われています)。ヨシュアは主のしもべとなり切って、靴を脱ぎ礼拝をささげ、雄々しく、信仰によって立ち上がります。
 このような態度こそ、いつの時代、どんな事にも勝利する原則です。来週はペンテコステです。私たちも自分を主に献げ、聖霊に満たされて進もうではありませんか。

5月20日 聖書研究祈り会  

YouTubeで視聴 YouTubeで視聴
聖歌150
聖歌497
聖書朗読 創世記1:1〜3
メッセージ「初めに神が」

5月17日 聖日礼拝  

YouTubeで視聴 YouTubeで視聴
讃美歌545
讃美歌7
交読文 3 (詩編16篇)
牧師の祈り・主の祈り・信仰告白(使徒信条)
聖歌604
特別賛美  友よ歌おう42「赦すためです」
聖書朗読  使徒の働き1:1〜8
メッセージ飯塚俊雄牧師「主の証人となるために」
聖歌607
祈り・頌栄(讃美歌540)・祝祷

「主の証人となるために」 使徒の働き 1:1〜8
使徒の働きは新約全巻の中でどのような位置を占めているのでしょう。福音書は伝記、使徒の働きのあとの21通の手紙は教理的なもの、黙示録は預言書です。そして、使徒の働きは歴史書です。主イエスの十字架の死と復活、昇天ののち、どのようなことが起ったか。

 そこでは、主イエスが「始め」られた仕事と、聖霊ご自身を通して、ご自分が継続しておられることの間の橋のような役目を果たしているのです。ギリシヤ人の医者、ルカは、「はじめ」という言葉を用い、主イエスは昇天されて、私たちの目からは見えなくなりましたが、主ご自身は今も、私たちと共にいまし、ご自身のみ体である教会を通して、働きを継続しておられる。だから、主のお仕事はいよいよ始まったのですと言うのです。

 イースターと昇天日に挟まれた40日の間、主イエスは、おもに二つのことに焦点をしぼって教えられました。
 1.神の国の到来です。
 2.聖霊のご到来です。

 この二つは相互に結合しており、聖霊が注がれることがメシヤ王国の祝福であると主張されました。しかし、使徒たちは混乱しており、「主よ、今こそ、イスラエルのために国を復興されるのですか」と尋ねています。
 しかし、主はこの問いの答えとして、彼らに、主の証人となる力を与える聖霊について語られ、神の国とは神の民の人生の中に働く神の統治のこと、と言われます。その国は主の証人たちによって広がる霊的支配であり、武力によらず、平和の福音によるのだと。

 さらに、主イエスは使徒たちの狭量な自国中心的な希望に対し、エルサレムから始まる「地の果てにまで」の視野拡大と使命観を訴えています。
 そして、「今こそ」イスラエル王国をという彼らの期待に対し、「いつとかどんな時とかは、父なる神がご自身の権威によって定めている」ので、彼らの知るべき事は、自分たちの全き明け渡しによって、聖霊の人格的内住を受け、ペンテコステから主の再臨に至るまで、その期間が長かろうと、短かろうと、主の力ある証人として立ち、教会による世界宣教に進むべき、と命じられたのです。

 結論として、
 1.宣教の根源は、主イエスご自身です。
 2.宣教の力とは、
信徒たちのきよめられた品性  一致団結した生き方  困難を恐れぬ勇気
 3.宣教を継続させるもの
   主の証人たちを生み出す力  つまり、聖霊に満たされた人材

5月13日 聖書研究祈り会  

YouTubeで視聴 YouTubeで視聴
聖歌126
聖歌547
聖書朗読 マタイ28:16〜20

メッセージ「キリスト復活の意義 7」

復活された主はガリラヤのある山の頂きのかなたから、11人の弟子たちにゆっくり歩み寄って来られます。天と地のすべての権威を掌握された主の主、王の王が近づいて来られます。目ざとい者はイエスを見て礼拝しましたが、遠くてそれがなつかしいイエスであるか疑う者もいた。しかし間近に来られると疑いも晴れ、11人に向かい主は厳かに語り出されます。

1.天地の主権者としての宣言(18)
2.天地の主権者からの命令(19)
3.天地の主権者の約束(20)

1.主イエスは本来、神の御子、つまり神そのものであられましたが、救い主の職務上、ご自身を空しくして人のかたちをとり、死に至るまで、十字架の死に至るまで身を低くし、死をもって、救いを完成してくださいました。
宇宙万物は今や、主のご支配の下にあります。(エペソ1:20-23)

2.主は世界宣教の命令を出されます。
「ですから」という小さな言葉を大切にしなければなりません。
すべての国民に福音を知らせ、彼らを主の弟子とすること。それは、「納得と信頼に基づく従順と明け渡し」を心の中から引き出すことです。「主よ、私はあなたのものです。み心のままになさってください」と申し上げるたましいにすることです。そのためには、なすべき、二つのことがあります。

1)バプテスマです。これは、三位一体の神の御名の権威により、私たちをこの神に結びつけることです。その愛に身を浸して生きることです。
2)すべての事を守るように教えることです。
教育と訓練です。生活学習です。私たちが主の弟子らしくなることです。

3.主は臨在を確約されます。
このような大きな使命に比べれば、私たちはなんと小さなものでしょう。ですから、主ははっきりと、「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されたのです。
その昔、一介の羊飼いでしかなかったモーセを神は召して、エジプトの強大な王の前に立たせ、160万ものイスラエルの民を解放させ、約束の地へと導きました。その秘訣は、「わたしがあなたと共に行く」の約束でした。
主は世の終わりまで、新天新地の創造の日まで、私たちと共にあり、聖霊によって、私たちの内に宿り、歩んでくださいます。

 

聞こえていますか、あなたを呼ぶ声  

人はだれでも愛されたいと思います。愛なしでは生きられないように造られているからです。人はだれでも永遠を思います。永遠に生きるように造られたからです。人はだれでも真実なものに感動します。真実な神が私たちの創造主だからです。
 事実、私たちを造られた神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と語りかけておられます。
 ここに私たちの人間としての尊厳があります。
 砂漠に放置された時計は、どんなに正確に時を刻んでも、それを造った人間と向き合い役に立たない限り、空しいと思うでしょう。
 私たちがどんなに発達した文明の中にいても、どこか孤独で空虚で不安な理由は、私たちを限りなく愛しておられる神に背を向けているからです。私も思春期に大きな挫折の中で、聖書を通してこの神にお出会いして、六十数年、喜びと希望に生かされて来ました。
 教会こそあなたの生きる意味と生きる喜びを与える唯一の場所です。
 東京若枝教会は、あなたをお待ちしています。
     牧師 飯塚 俊雄

教会紹介  

私たちの教会は1968年、練馬区関町の借家の八畳の板の間から始まりました。
牧師は、ベテランの飯塚俊雄牧師と、音楽性ゆたかな飯塚弘道牧師です。
地域の方々に愛され、親しまれ、今や毎週の聖日礼拝には90歳をこえる方々から、働き盛りのパパやママ、青年、学生、中高生、小学生はもちろん、赤ちゃんにいたるまでたくさんの人々でにぎわいます。
牧師の心は温かく、お話はわかりやすく、慰めといやしと希望のメッセージはきっとあなたの心にも届くでしょう。

※当教会は統一教会、モルモン教、エホバの証人、幸福の科学とは一切関係ありません。
また当教会では駐車場整理の都合上、車でお越しの方から車の鍵をお預かりします。ご理解のほどお願いします。

powered by Quick Homepage Maker 3.60
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional